大学1年 2学期 (2018/03 ~ 2018/06)

お知らせ

 

大学1年 2学期 (2018/03 ~ 2018/06)

大学1年生 2学期は様々な人たちと出会いや自分にとって最も楽しい大学生活が始まった時期であり、また身体的に精神的に追い込まれ始めた時期であった。

 

授業

Basic of Academic Reading
-> 韓国語で学問単語を学んだ教科。特に印象はない。

Basic of Academic Writing
-> 学問的に記述する方法を学んだ教科。特に印象はない。

Contemporary Culture & Unification Thought l
-> 現代に対して、どのような精神で生きれば良いか説いた内容。教養としては役に立った。

Developmental Psychology
-> 年齢による人間の身体的発達とそれに伴う精神的成長がどのように行われるのかについての心理学の教科。大脳の正常な成長に必要な環境やある一定時期に訪れる心理的特徴など非常に興味深い内容がわんさかあった。

Introduction to Psychology
-> 心理学の入門書。心理学の歴史や主義等の概略を学んだ。この授業から行動認知心理学に興味を持ち始めた。また人を複数の心理学的な観点から分析するようになったきっかけでもある。

Introduction to Social Welfare
-> 社会福祉の入門書。個人的にもっとも性格に合わなかった教科書。社会福祉の歴史や心持ち、適応可能な韓国の社会福祉関連の法律等文字しかないだけでなく、右翼的な平等を目指す社会福祉に対して、左翼的な自由の精神がある自分とは真逆の価値観を学んだ。一観点としては非常に役に立った。

 

部屋メン(大学 1年 2学期)

最も大学生時代ストレスを感じなかった部屋メンであり、一番平和に過ごせた学期だった。

1人目は、メガネ-エセ-リア中-幸福探訪者
2人目は、無口くん
3人目は、童顔コミュ障だ。

寄宿舎の部屋メンは学生からの指定がない限りランダムに振り分けらるのだが、ここでは偶然童顔コミュ障と1学期を過ごした。教育院で共に住んでいたため互いの生活様式を理解しており非常に過ごしやすい学期であった。無口くんとはあまり話を交わさなかったため、あまり彼とのエピソードはないが、メガネエセリア中幸福探訪者くんはなかなか面白いエピソードが複数ある。その中でもなぜ彼に対して自分がこのようなあだ名をつけたのか経緯を話すと、彼と寄宿舎で初めて会った時に既に結婚しており、結婚から6ヶ月が経過していた。その時彼は当時20歳で、彼女とスピード結婚してさぞ幸せだろうと尋ねたところそうではないらしい。

彼はある宗教信者で、その宗教同士の許嫁のような感じで結婚をしたという。彼は自分の妻を好こうと努力をしていたのだが、妻が彼のことをあまり好いておらず、今まで一度も手を繋いだこともないとか。別れないのかと尋ねたところ彼の宗派的に離婚は推奨されていないらしい。そういった夫婦の葛藤を共に越えることが意味のあることだと語っていた脇に幸せとは何かについての本を7割ほど読んでいた者の意見としてはなかなか彼も苦労する人生を送りそうだなと感じた。いろんな価値観があるということでこれはこれで良い勉強にはなったが、現在彼は幸福なのかわからない。とりあえず結婚がゴールではなく、スタートであり共に共通の目的に対して共に歩んでゆくことが結婚の醍醐味なのだと彼は示してくれたとそう考えている。

 

国際バレーボールチーム (Bibim Power)

大学生1年1学期で学んだことは多くあったが大学生においての本分は学業と理解していたこと、また将来的に心理学のアメリカ大学院に進学することを考えていたため、今後大学生生活は全てにおいて勉強に時間を投資するのが自分の将来にとって最適解であると考えた。

自身の知的好奇心のため日々学習することは存外きつくはなかった。”学習において” はだ。韓国語語学院で自分についてわかったことは、自分が精神的にストレスを受けやすい神経質であり、うつ状態になりやすいこと。だが皮肉なことに病んでる状態のなかでも教科書を読んで理解し、またよく内容を覚えることができたため、不定期的な睡眠時間を維持してでも勉強をした(この当時、睡眠が学習効率を向上させるのに大事なのは頭では理解しているたが、内容を理解できまた覚えることができたので、精神衛生と引き換えに知識を手に入れるための時間を獲得することが大事と理解したのでこのような無茶をした。今ではできない勉強法である)。

当時どうやったら学習効率を上げることができるのか情報収集をしていたのだが、その中でも程よい運動をする必要があるらしい。自分は高校ではサッカー、中学ではバレーボールをしており、また当時留学生の間で国際サッカー部はあったが、バレーボール部がなかったことと留学生の友達が他の留学生と会話をしているのを見た時、自分も同じ留学生として、多くの留学生と文化交流をしたいと思い、ビビンパワーという国際バレーボール部設立した。

この国際コミュニティーを通して、バレーボールの活動や地区の大会に出たりして、大学生活は多くの異文化に触れることができ、有意義に過ごすことができた。またお互いの国事情や文化の価値観の違い、国際問題など多くの話し合いから、国際的な知見と視野を得ることができただけでなく、国際交流の経験から物事や世界が抱える問題は、その前提となる知識や歴史を理解し、かつ多角的な視点から分析、熟慮しないかぎりそれらの問題は決して解決しないということを深く実感した。 

 

まとめ

大学 1年生 2学期は国際バレーボールを立ち上げたり、来学期のための寄宿舎と生活費を稼ぐために日本語を大学で、韓国語教育院で留学生に日本語を教えてお金を稼いだり、学業に寝る間も惜しみ励んだ結果、精神衛生面を怠り鬱になったりと様々な活動をした。来学期もこれに劣らず学業に専念しつつ憂鬱になるのだが、なにより知識が確実に身につきそれが人を分析するにおいては非常に役に立っており、以前よりもまして思考の質が上がっていることが嬉しかった。また来学期は英語を複数専攻する予定であり、それに向けて学習のモチベーションも上がったのが学業の効率を向上させてたと考えている。

 

夏休み (2018/07 ~ 2018/08)

大学1年生の夏休みは前回と比べて、言語学習に焦点を当てていた。来学期からは韓国語で授業を受けつつ、また英語でも受けることになるからだ。将来的にアメリカの大学院に進学するにおいて英語のレベルを上げていかなければ学習に支障をきたすのと英語ができるようになれば夢のマルチリンガルになれると思ったので勉強に身が入った。

特にこの時期には、心理学や哲学などの本を英語で読んだり、英語でアニメを見ることで単語とリスニング力を鍛えていた。もともと英語に関しては多少は話すことも書くこともできたので、あとは単語を覚えたり、文法を使いこなすことが目標だったのだが、いかんせん学問や参考書を英語で読んでそのフレーズを覚えていたため英語での表現が固かった。

そのためよりラフな英語を使えるようになるために、日本のアニメでかつ英語の吹き替えがあるものを選んで学習をした。基本的にこの夏休みは日本の英語で吹き返されたアニメを見て、リスニング力を鍛えシャドーイングで擬似的にスピーキングを練習していた。そのなかでも個人的におすすめのアニメを紹介しよう。

ヴァイオレットエヴァーガーデン。普段から小難しい参考者や学問書しか読まない自分が、初めて原作の小説を買うまでに心惹かれたアニメの名前だ。内容は簡単にいうと、自分の最愛の人が残した言葉の意味を探しに行く話だ。その言葉は “愛している” だ。

学問的に定義してはアニメを客観的に現実の事象をただ分析するようなつまらない見方で視聴することになってしまうので、できるだけ自分が感じた感性からこのアニメを見た。その感想としては愛というのは自分にとって難しかったということだ。もっと正確に表現すればわからないというのが正しいのかもしれない。

愛は人間が生きてゆく上で必ず必要なものだ。これは物理的な意味を含まれている。適切な愛情を注がれなかった子供の脳は愛情を受け育った子供と比較して小さいそうだ。脳が適切に成熟しないということはその影響が体にも現れ平均寿命が短かったり、精神疾患を発症する確率も上がるそうだ。(愛情と人間の成長に関する実験や論文は検索すれば多く出てくるので、ぜひともこの際に一読していただきたい。)

自分は両親や友人から愛情を受けて育ったとそう思う。大学生活を学業に専念し多くを学び卒業し、念願のデータ分析会社から内定をいただくことが出来たので自分の大脳は年齢に比例して成熟していると思っている。だが愛がなんなのかはわかっていない。確かに受けて育ってものなのにその正体がわからないのだ。おそらくそれを実感するには自身の愛情を他の人に与えたり、また愛情を受ける経験をしなければ感じられない代物なのかと考えている。

自分は誰かを好いたことはあっても人を心から愛したことはない。なので自分は愛を理解できないであろう。このアニメに出てくる主人公は初めは愛がわからなかったが、最終的に手紙を代筆することによって愛には様々な形があることを知り、愛とはかけがえのない人を心から想うことであると理解した。ここで彼女が愛を理解することができた要因として彼女の最愛の人が言った言葉であるというの大きな要因であると思う。

自分もこの初期の彼女のように愛という意味を本質としては理解していない。心理学的に定義する意味で言葉を綴ることはできるが、その意味を心の中ではわかっていない。その愛を知ろうと普段では絶対に買わないであろう、その小説を買ってまで関心を向けたが愛というのはやはり難しく理解し難い。

人に優しくあることを1年生1学期で学び、1年生2学期では愛について考えた。大学を卒業した現在(2022/09/09)でも愛がわからない。やはり将来人を心から信用し、愛してみることが自分の長年の謎を解く方法でありそれを知り広げていくことが自分の人生においての命題なのではないかと最近では考えるようになった。愛を知るにはまず与えなければいけない。愛を与えることによって、愛が与えられるらしい。愛を知らない自分が愛を与えられるのかはわからないし、そのような人と巡り合えるのかもわからない。あいにく神にはあまり祈らない主義なのでね。神はいるとは思うが、祈ったところで助けてはくれないと思っている。自分のような皮肉が大好きな懐疑主義を愛してくれる人がいればの話ではあるが、仮にそのような人が現れたら愛のこもった優しさでその人を信じ、愛してみたいと思っている。と思った当時の若いそれがしであった。

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