大学1年 1学期 (2017/09 ~ 2017/12)

お知らせ

 

大学1年 1学期 (2017/09 ~ 2017/12)

教育院で韓国語を1年間学んだ後、無事に入学条件と面接を通過し入学が決定。専攻は昔から心理学か天文学部のどちらかがあれば天文学部を期待していたのだがなかったため相談心理社会福祉学科に決めた。念願の大学生活を前にワクワクと不安が入り混じりながら、教育院から大学の寄宿舎に荷物移動を終えいよいよ明日初の大学での大学での授業を受けることになる。大学は東京2つ半ぐらいの面積で、建物は基本的に白を基調にした石造り。周りには自然が溢れ世俗から離れた良い意味で大学感があった。これは当日絶対迷うと思った私はキャンパス内を1周することで明日の授業に備えた。

 

授業

Contemporary Culture & Unification Thought ll
-> 現代に対して、どのような精神で生きれば良いか説いた内容。教養としては役に立った。

Creative Speaking
-> 話術についての教科。韓国語学習の延長線という意味では役に立った。

Glocal Public Service
-> 心理診療所のボランティアのために必要な教科だった。

Social Psychology
-> 初めての大学授業で怒られてしまった授業。心理学としては難易度高め。

Understanding of Computational Thinking and Software
-> コンピューターの思考とソフトウェアとはなんなのかを学ぶ授業。ITの教養として学ぶには悪くない。

Univeristy life and future planning
-> 大学生生活どのようにするのか長期的プランを考えた授業。これは人によっては良い授業であったと思うが別にとらなくてもよかったかもと思っている。

 

部屋メン(大学 1年 1学期)

人生で一番最悪の部屋メンであったことは今でも記憶している。5年間の大学生活で最低最悪だ。当時の部屋メンが以下だ。

1人目は、メガネゲップ憂鬱
2人目は、裸族の弊害箱入り息子
3人目は、寄宿舎が必要のない優等生くんだ。

詳細を書くと枚挙にいとまがないが、部屋にはベットの上で10分に1回ゲップをし否定的な意見や愚痴を多く聞かされ、スピーカーで自分の好きな曲を自身が寝るまでかけ続けたり等の部屋にいるだけでストレスが多くかかる部屋だった。

 

友達作りと怖い教授

授業を受ける前、筆者はこんな話をよく聞いた。” 大学生活は最初の1年で決まる ” と。1年で友人を作れなければ、ボッチ大学生活の幕開けになってしまうのだ。筆者は4年間のボッチ大学生活がなんとなく怖く、授業の前日に友達の作りかたをYoutubeで調べて、完璧なシミュレーション(良い印象を持たせる方法, 話しかけ方, 食事の誘い方等)を脳内で再生して、その日を終えた。

次の日社会心理学の授業があり、またその授業は心理学の学科長が担当していたため、教授に良い印象を抱かせられるように授業の10分前に教室に到着し、1番前の席に座り準備は万端だ。教授が来る前のクラスはざわざわしており、友達同士で座り会話をしていたのだが、その全体の60%しか韓国語を聞き取れず、あんなに韓国語教育院で勉強したのにと大変がっかりした。まあ言語は慣れだとよく聞くから大丈夫だと自分に語りかけ、授業終わりに友人を作るために韓国の学生に話しかけようと周りを見回したら絶句した。

なぜならすでに韓国の学生は友人同士で席で座っており、話しかける余地がないのだ。この現象を予測していなかったわけではない。韓国では4月から新入生が大学生活を始めるのに対して、私は秋入学のため遅れている状態から学生生活がスタートするのだ。秋入学の弊害は友人を作りにくいだけでなく、普通1学期で基礎を学んだ次に2学期目に応用のようなことをするのだが、私の場合は全体の2学期が1学期であるため応用を学んでから基礎を学ぶという悪循環が生まれるのだ。デメリットが多くある秋学期入学だがメリットもある。寄宿舎で共に生活していた友人達が先に入学しているため大学の情報を入手できる点だ。これのおかげで大学生活から設備説明、課題の出し方等の情報を得ることができ、大学生活に適応できた。

想定された絶望的な友達をつくれない状況のなかどうすれば、話しかけられるのか思案していた中、教授が教室に入ってきた。その教授が入ってきた瞬間、周りの空気が変わった。温度が変わったというのか肌がすこし肌寒くなり空気がぴーんと張り詰めた。” ああ。知っているぞこの感覚。この人怖い人だ。” と直感が囁いた。

見た目は私がイメージする教授。学科長というだけあって、貫禄がある。身長は170cmぐらいで、顔は韓国の50代後半の強面のおじさんだ。いざ授業が始まると、進行はスラスラと進んだ。長い教授職からか進行は無駄もなく、わかりやすく、適切なスピードであった。いざスライドを写真を撮ろうとしたら” 写真は撮るな! ” と言われた。「んんんん??」 と思いまた、もしかしたらそれが講義を受ける礼儀なのかと思ったのだが。ほかの学生を見る限りびっくりした顔があった。「なるほど。これはイレギュラーっということか」とこの教授の特異性を感じた。

また韓国語がまだ未熟な筆者は、教授の韓国語がわからなかったため、携帯を取り出し翻訳をしようと思ったら、” 携帯をいじるな! ” と言われた。「んんんん??」とまたまた思い、「韓国語で韓国語が未熟だから、単語を調べていた」と頭の中で思っていたのだが、口から「すいません」と自分の意思とは違うもの言葉が出てきた。おそらく学科長だからか、ビビったのだろう。とまあ初めての授業が終わったわけだが、最悪の終わりだ。韓国の友達は作れず、教授からは怒られ悪印象を植えつけたのだ。当初の目的を果たせず、がっかりしながら寄宿舎に帰ると「ああこいつかが今日から部屋メン」かと再度思いだし、さらに一段がっかりした。

1年の1学期は専攻と教養の授業を取っていたのだが、その中でも教養で韓国語の授業を留学生は卒業条件として取らなければいけないということで講義を聞いていたのだが、その韓国語の教授が自分の武勇伝や経歴についての熱弁を織り交ぜながら授業が進行されていた。非生産的な時間を過ごしていると感じたが、ここでなにかしら言うと成績に関係するかもしれない心配から話を聞いていた。ここで私の悪い癖が出てしまったのだ。私は昔から全体の能力はそこそこだが、人を煽り怒らせるスキルだけは一流であった。中学の頃は、先生の揚げ足をとってよく怒られていた (高校時代では静かにしてましたからね!)。

そのスキルを教授に披露したところ真っ赤なゆでだこのような顔になり怒られてしまった。だが不思議と今学期が終わるまで、自分の話をすることがなくなってしまった。生徒の前で煽られ微弱ながら笑われたのが不快だったのか、はたまた教授としての責務を思い出したのたかは定かではないが、それ以降ほかの生徒に対しては普通の態度で接していたのだが、私に対しては少し冷えた対応をしていたことは勘違いではないだろう。ここで学んだことは、煽りは良くなかったと思ったことだ。それ以降は心の中で煽りの単語や揚げ足のタイミングがあっても筆者のスキルをあまり発揮しなくなったのは、大人になったと自分でも思う。まあたまに発揮してしまうこともあるのだが。

 

まとめ

留学生として奨学金を受け取っており成績次第ではその権利が剥奪されてしまう恐怖心から、また己の学習意欲を満たすためにその学期は図書館で深夜までずーーーーーーーーーーーーーっと勉強し、韓国語の能力も向上しただけでなく、成績も奨学金を受け取ることができるラインも越えることができた。

1年生1学期は学業優先することに重点を置いていたため特に外的な活動をすることなく特に記述することがない。あるとしたら日本語を外国人に対して教えたことと週に2日往復10kmをかけて心理診療所でボランティアをしたぐらいだ。これらの活動で対して思った感想としては日本語を教えることは非っっっっっっっっ常に難しいこと。そして人に物を教えることはかなりの忍耐力が必要であると学んだ。特に日本語があまりできない方に教えるとなると、まず日本語で何を表現できるのか評価したり、表情から何が言いたいのか推測ったり等、その人の日本語能力から適切なその人にあった学習方法で日本語を伸ばす方針をこの大学4年間学期中に考えてきたためか心なしか人の観点から物を考えてみる癖がついた。

心理診療所では卒業条件を満たすためボランティアにいっていたのだが、韓国の冬(0℃を下回る)を自転車で往復するのは2度とごめんだ。ここで学んだことは寒さはある一定の閾値を越えると “寒い” から “痛い” になるということだ。とそれと引き換えに心理診療所で学べたことも少なからずあった。そこの心理診療所は主に児童を対象に心理相談や教育を施すサービスを提供していた。珍しいことであるがボランティアとして心理支援の対象の児童のファイルの整理を任せてもらえた。普通であれば外部の人間にそのような顧客情報を見せてはいけないだが、自分が心理学専攻というのと将来は心理学教授になり世の中で心理的に苦しんでいる人たちを1人でも救いたいと話したからか “そうであれば実際に心理的に苦しんでいる方のファイルを整理をしながら勉強しなさい ” と言われ、一部事務所の業務を一任された。任された業務をこなしながらファイル整理をしていると、児童関連のなかで心理的に問題がある児童の約半分が家庭に問題があることがわかった。心理学の知識で多少は知っていたが、それぞれの問題は複合的で思ったよりも複雑であった。この経験は今後心理学の学習において、また人間関連のいざこざに対して分析をする1観点として大いに役に立った。またここで人を幸せにするのは人であり人を不幸にするのもまた人であるということを学び、この学びから人に必要なのは優しさなのではないかと感じ自分なりではあるが、人に対して優しさを持って対する意識が芽生えた。

 

冬休み (2018/01 ~ 2018/02)

特に記述することがない一般的な大学生の日常を送った冬休み。ゲームしたり、Youtube見たり、韓国語の学習と全学期教科の復習などなど。だがこれが最初で最後の大学生としてあまり記述することがないの冬休みとなる。

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