大学4年 2学期 (2022/03 ~ 2022/06)
大学4年生2学期も前学期と同様に日本でZoom授業を受け最後は無事卒業と考えていた。奨学金の条件も最後まで満たし授業料は最後まで一銭も払わないのと寄宿舎費と生活費も払わなくても良い経済的な最後で韓国に帰らずとも卒業条件はすでに満たしており卒業証書等の重要書類も送ってもらえば全て完璧だなと思いながら学校の学生サイトを確認する。今学期どのように授業が進行されるのか説明書きがある。原則対面授業とあった。ここから地獄の神経張り詰めの4ヶ月間が始まる。
授業
Behavior Modification
-> 行動心理学を応用した教科書。行動心理学の基本原理に復習とプログラムの編成方法等を学べたことが多くあり、現実の対しても適用できるものが豊富で実際に計画を立てたりした。
Program Development and Evaluation
-> 社会福祉関連のプログラムを作成する授業。社会福祉に就職する予定はないため知識を活用できる機会は少ないと思うが、プログラムを作成する方法や目標設定やそれ達成するための手段を考えたり等を学んだ。
Social Work Values and Ethics
-> 社会福祉の観点から倫理学を学ぶ授業。人助けをする職業である社会福祉士はその個人ごとに人を助けるための志や思考があるためその方向性を合わせるための授業。社会福祉と自分が志向する思想と真逆なため1つの観点を学習するにあたっては役に立った。
部屋メン(大学 4年 2学期)
1, 皮肉と嫌味の平均男
2, 常に部屋でゲームをする電気大好き台湾人
皮肉と嫌味の平均男は皮肉にも自分と性格が類似している部分もあって仲良く過ごせた。常に部屋でゲームをする電気大好き台湾人はいい男だった。性格的にはだいぶ良い。人に対してはその持ち前の誠実さを遺憾なく発揮してくれたが、彼がイヤホンをしゲームをする時は最悪だ。暇な時間があれば基本LoLと音ゲーだけし勉強はしない。非常にストレスを感じた。
地雷を避けて天竺へ
原則対面授業とサイトに書いてあったが自分は留学生という立場があったり、飛行機の往復切符と生活費等の金銭的な理由により渡韓できない等のいけない理由を列挙してどうにかZoomで授業を受けれるように嘆願しようと考えた。コロナが落ち着き始めてから韓国政府がwith coronaという政策を打ち出してコロナ前と同じ状況に戻そうとする試みに対して大学側もそれに沿った授業体制にしようとするのが対面授業にする理由だ。これは非常に自分にとって都合が悪かった。実際に飛行機の往復切符と生活費等で約30万円が約4ヶ月で消えてしまったり、国籍の問題で下手したら軍隊の強制徴兵に引っかかってしまい韓国から出られない可能性がある。自分は日本と韓国のハーフでありパスポートは両国持っていた。日本で出生し父親がその国の永住権を獲得し、その国で仕事をしていたら徴兵は免除される。だが免除されるためには書類を一括提出しなければいけなく、そもそも書類を提出するのも次には29歳にならないと受け付けてくれないため、その歳までに韓国にいた場合は徴兵の対象になってしまう。徴兵されれば陸軍に行くことになり最低1年6ヶ月の時間を消費する。人生経験にしては悪くないと思うが今の自分はしたいことや将来に対しての目的等があったので入隊は避けたいところだった。下記は当時の韓国に行ったら起こる(起こり得る)デメリットだ。
1, 韓国まで行って生活し、日本に帰るのに約30万円かかる
2, 徴兵の危険性(法的義務なので回避できない)
授業を担当する教授がZoomでの授業を容認すれば日本に滞在できることを知った私は4人の教授に韓国に行きたくない理由を列挙してメールを送った。全員返信が来たのだが原則対面授業という理由から許可されなかった。今学期来れないのなら休学しろなども言われた。最初のメールの返信がそう返ってくることは想定内だった。学校の原則から否定されることを予想していた私はこの手の交渉は次の一手が大事だと理解していた。そのため予め考えていた文章を再度返信する。結果は3人は渋々了承してくれたが1人は断固として拒否。この否定した教授は専攻の必須科目だ。他は選択だったためその授業を聞かなくとも卒業には支障はないが必須となると卒業ができない。最悪だ。渡韓が決定したのだ。メールのやり取りをしながらなんとなく韓国に行く確率が高いことを察した私は韓国に行くための様々な準備をしなければいけなかった。それが下記だ。
1, ワクチンを2回受ける(寄宿舎のルールで最低2回接種していなければ入るとこができない) + ワクチン接種証明書の発行
2, 行きの飛行機チケットを韓国籍で購入(当時2万5000円)
3, 2週間の自主隔離施設予約(当時の韓国は外国からの来訪者に対してワクチンの接種歴に関係なしに2週間の隔離を義務付けていた。自主期間中に2回PCRを受けて、もし陽性の場合は韓国政府の提供するホテルに隔離される。もちろん費用は自費(食事付き2週間で最低10万円))
4, 検査から48時間以内の陰性証明書 (1万5000円。これを通過しないとそもそも韓国に行けないしチケット代も消費され、自主隔離施設予約も半分しか変換されない。1番の鬼門)
5, 寄宿舎入居のためワクチン証明書 + 結核診断表
6, 徴兵義務のため警察から電話がかかってきた場合のシミュレーション(韓国では韓国の国籍がある男性は義務が徴兵義務があるのだが軍隊に行く前に身体検査を受ける。身体や精神に異常がある場合は免除または政府から指定された業務を2年ぐらい代替してする場合もある。自分は健康体のため軍隊に行く確率が高い。なぜ徴兵義務のため警察から電話がかかってきた場合のシミュレーションをする必要があるかというと身体検査を受けていない韓国人は警察から連絡が来るからだ。だがこれも警察側が対象者の電話番号や住所がわかる場合で私は私の名前についての情報だけ法務局に出ていたため電話はかかってこなかった。だが仮にかかってきた場合は韓国語ができない英語しか話せない国籍だけ韓国の外国人も演じようと考えた。)
他にもケアしなければいけないことがあったと思うが上記が基本的に渡韓に必要かつ韓国の生活において念頭に置かなければいけないことだった。ワクチンを2回受け、チケットと自主隔離施設予約をする。行く前の準備は全て終えた。最後は陰性証明書で陰性が出れば完璧だ。実はこの検査を受ける前に陽性が確定した人と食事をしたため陽性の疑いが自分にあったのだが陰性だと信じて診療所に行く。意外とPCRを受ける人たちが多くてびっくりしたと同時にどうか陰性がでることを祈り検査を受ける。当時の日本の医学は疲弊しきっており医療従事者はまったく休めてなかった。自分がPCRを受けることになって彼らに負担を与えていると思うと高額な陰性証明書代も納得できた。当日すぐに結果がわかるPCRだっため陰性であった場合はすぐに空港に向かう手筈になっていた。結果は陰性。心のなかでガッツポーズをしながら診療所を出て成田空港行きの電車に乗る。朝の便であったため深夜に到着して飛行機を待つ。韓国でしなければいけないことやケアしなければいけないことを考えていると時間が早く過ぎた。
飛行機の案内板を見たら欠航が多い。同じ会社の2時間前の便が欠航していた。仮に欠航したら陰性証明書が無駄になってしまう可能性があり、また自主隔離施設費用も半分しか返還されない。このシナリオは考えていなかった。どうか欠航しないようにと神に願う。こういうときに限って神に願うとは本当に都合の良い人間だ。熱心に祈祷を捧げながらアナウンスが流れてくる。受付が始めると心底嬉しかった。だが受付をしてもしかしたら欠航する可能性があるかもしれないことを考えて受付の人に欠航するのか聞いたらしないそうだ。言質を受け取って嬉しかった反面、隣の韓国のおばさんが陰性証明書が必要であったことを知らなかったため搭乗受付をができなかった姿を見て情報弱者は本当に生きにくい世の中だと思った。自分は情報収集には自信がある。情報をつかんでも自分の思うようにならないことの方が実際には多い。天候による欠航とかが良い例だ。そのような自然の要因はどうにもできない。と考え過ぎて悟りを開いていた。荷物を預け搭乗口に入る。出発時間までただ待つ。時間になり飛行機に乗り込み初めて韓国行きを実感する。搭乗客は少なく久しぶりの出発前アナウンスを聞き退屈と思いながら目を瞑る。その時はオールしていたためすぐに寝落ちしてしまった。目を開けたら韓国に到着していた。
なんともあっけない到着だろうかと思いながら荷物をまとめて外に出る。韓国の空港の独特の匂いと懐かしさを感じながら歩く。歩いていると前方に人溜りが出来ていた。周りに映画でよくみる白いカッパに酸素マスクのようなものを被った検疫官がいる。おそらくここでワクチン接種証明書と陰性証明書を提出するのだろうと準備する。無事に提出し先に行く。次がパスポート提出&スタンプをもらう入国管理の段階だ。ここで人生で一度も出したことのない韓国籍のパスポートを準備する。いつもなら日本籍のパスポートを差し出すところだが諸事情で韓国のパスポートを提出するしかなかった。順番を待ちながら果たして通過できるのか、通過できたとして電話番号や大学名を聞かれないかビクビクしていた。自分の順番になりパスポートを渡す。受け取ったパスポートを見て入国管理官が顔をしかめる。パスポートの番号を打ちんでもデータがないのであれば当然だろう。二重国籍かと聞かれ” はい” という返事と共に日本側のパスポートを要求してきたので提出する。するとなにやら電話をし始めた。おそらくこのようなケースに出会ったことのない若い職員だったのだろう。小声で上司と思われる人に対処方法を聞きながらカタカタしている。約30秒の沈黙がありようやくパスポートを返される。大学名や電話番号、メールアドレスを聞かれなくてよかったと安堵した(渡したら徴兵のために呼び出される可能性があったからだ)。
荷物を発見し持ち出し外に出る。外も外でなかなかの厳重に警備されていた。ロビーに出ると周りには通行制限のテープがされており私の自主隔離施設をする地域ごとに個別で向かう場所が違うらしい。指定された場所に向かう。いつもであれば空港からバスまたは電車で一本だが、今回は空港からバスまで行きKTX(韓国の新幹線)に乗るらしい。いつもより時間とお金がかかる経路を選択され大変不便かつ不服だったが、自主隔離期間中にでしゃばった行動をした留学生についての記事が出たことを知っていたので黙って指示に従う。移動中に思ったのはしっかり密であった点だ。肩と肩がぶつかるほどの距離ではないが客同士が近いことと空気の循環はされているのかわからない。これでは非感染者も感染してしまうのではないかと元も子もない気がしたが黙っていれば問題ないだろと心の中のリトル私に言われたのでそうだなと会話する。バスに乗りソウル駅から天安駅までの切符を購入し出発時間まで待つ。出発の時間になったので電車に乗る。ここでの案内人は韓国軍人だった。自分よりも若い韓国の軍人の見て、自分の事情がバレたらこの軍服を着るんだななどと想像しながらも絶対軍隊に行きたくないと思った私は韓国生活においてボロを出さないことを心に誓う。そう思っているとKTXが到着したので乗り込んで20分ほど揺られる。
天安駅に到着するとまたまた白いカッパの職員に連れられた。駅に着いたら自主隔離する場所に各々向かっていくのかと思ったら違うようだ。駅の下の方に個人タクシーが準備されておりなんともサービスが良いのだろうと思ったところ有料らしい。徒歩で向かってはダメなのか聞いたところダメらしい。GPSを強要してるんだから問題ないだろうと思ったが黙って国家権力に従う。行き先を告げてその場所に向かう。運転手は意外にも気さくな方で他愛もない話を交わす。自主隔離場所に到着するとタクシー運転手が金額を請求してくる。海外旅行する際にタクシーを利用する場合はぼったくられないようにあらかじめ情報は頭の中に入れた方が良い。というのもタクシーを利用するにおいて相場を理解していないとぼったくられる可能性が高いからだ。日本でもごく稀に外国人であることを良いことにメーターをいじって普通の1.5 ~ 2.0倍ぐらいに請求してくる人もいる。特に韓国のタクシーはぼったくろうとする方々が多い。韓国タクシーのぼったくりがひどくてそれに関する法律ができたくらいだ。現在ではぼったくろうとすれば韓国の法律で警察を呼ぶことも可能になった(韓国語を話せないと意味がないようにも思うが)。韓国にそこそこ住んでいたこともあり個人タクシーの相場を理解していた自分は少し割高な気がしたがここのところ韓国物価の急上昇とロシアがウクライナに戦争を仕掛けたことに対する制裁により石油等の輸出入が制限されたということも考慮すると適正価格だと判断したので言われた金額を払う。金額を確認した運転手がさらに口を開く。自主隔離の過ごし方を知っての交渉だろう。海外から来た人たちは2週間の自主隔離中に2回保健所に行きPCRを受けなければいけない。あらかじめ保健所の位置を確認しており徒歩約8kmというのを知っていたので徒歩で向かおうと決めていたのだが、その運転手は1回目の行き帰りのタクシーで3000円、2回目の行き帰りのタクシーでプラスで4000円と交渉してくる。個人タクシーも営業をして大変だなと思いながら、これに関してはぼったくり + 徒歩で行くことを考えていた自分は丁重にその提案をお断りする。するとタクシー運転手は残念そうに運転座席に帰って行く。このおじさんにも生活があり自分が韓国でお金を使うことで経済を回すことに貢献するのも悪くないと考えたが、自分の生活が優先されなければいけないとその時は考えたのでおじさんにすまんと言い隔離場所に入る。
自主隔離は格安のところを選んだためどのような部屋なのか気になったのだが案外綺麗だった。部屋の面積の6割ぐらいはベットが占有しておりそれ以外には日常生活を送るにおいての必需品がちらほらあった。Wifiが完備されているので授業を受けるのは問題がなかった。隔離期間中は外に行けないのであらかじめパスタやケチャップ等の1週間生きるのに十分な量の食品を旅行ケースの中にも忍ばせていたので食に関しては問題がなかった。問題があったとしたら水だ。蛇口から流れる日本の水は海外で売れるくらい質が良い。しかも軟水であるため癖がなく飲みやすい。韓国の水は硬水であるため癖はあるが飲めなくはない。韓国の水も一応飲めなくはないが基本沸騰させてから飲むようにしている。基本的には韓国の人たちは軟水を購入して生活している人が多いので韓国の人たちも硬水はあまり好きではないようだ(韓国の友人の多くは軟水の方が好きだそう)。3Lだけ冷蔵機に軟水があったため2週間分を割り算して飲みくりした。隔離期間中の生活は特に記述することはない。時間になったらZoomで授業を受けて課題をこなしそれが終わったらデータサイエンスの勉強した。料理も得意だったので2週間分の献立を作りそれなりの食事をし、PCRも見事に2回とも陰性が出たので追加隔離義務がなかった。やらかしたことと言えばパスタを湯がくためにガスをつけっぱなしにしているのを忘れて勉強に没頭した結果、中に入っていた水が全て蒸発し湯気がいっぱいに立ち込み周りが青色の塗装されていた鍋が漆黒に焦げていたことぐらいだ。それを見て一酸化中毒死のイメージを掴んだのと火事の原因がこうして生まれるのかと焦りよりも学びがあった。オーナーには申し訳ないと思っている。2週間が過ぎて無事に自主隔離という名の監獄から解放されてしゃばの空気を吸うのだが韓国のゴミの臭さが鼻にきて少し萎えた。体感では
あるが韓国は日本よりゴミがそこらじゅうではないが落ちており、個人営業の店が多いからか異臭がしており道路が汚いことが多い。中国からのPM2.5が流れてくる影響もあり韓国の外気は汚染されていると言っても過言ではない。
バス停を見つけて大学に向かう。バス乗車中に久しぶりに大学訪問で色々な期待を抱いていた。私の大学は夏冬休みがあるたびに何かしらの施設の変化があるためその変化を見るのが一つの楽しみだった。ほかにも学科の後輩や友人に会うことが出来たりするのが楽しみだった。そう考えている内に大学前でバスが停車したので降りる。見覚えの大学の門をくぐり寄宿舎まで歩いていく外観の変化はあまりないようだ。大学での今までの日々を思い出しながら寄宿舎に向かう。寄宿舎に到着し管理人を探すのだが本当にいない。毎学期管理人が各寄宿舎に配置されているのだがコロナになったことによる人件費の削減と大学がAIの分野に力を入れておりそれが活用され初めてから基本的に管理人がいなくなったらしい。管理人のかわりをAIが担っているというわけだ。昔は生徒証で寄宿舎を出入りしていたのだが今では顔認証だ。時代と共に世の中が変わっていっていることを実感した。とりあえず寄宿舎費を払っていたので私の部屋を寄宿舎のサイトから探し出し部屋に向かう。部屋の前に立ちコンコンとノックをする。どんな部屋メンがいるのかドキドキしながらドアが開くのを待つ。すると背が高めの男が出てきた。後の皮肉と嫌味の平均男である。簡単な挨拶をし荷物を部屋の中に置く。
到着したのが早朝だったため朝食を食べることができると思い食堂に向かう。自分は大学の食堂には1年生からよくお世話になってきた。寄宿舎申請をすると同時に学食を選択するのだが朝食と昼食を選択で選ぶことが出来た。学生は自分の意志で学食を選択するか寄宿舎等で調理する等を選ぶのだが私は基本的に朝食のみを選んでいた。その理由は昼は友人と食べに行くことがたまにあったり宅配を頼むことが多かったので昼食に自由を利かせたり、金銭をキープしたり、私は学食の朝食のみの1日1食生活をすることによる体型の維持と腹ペコが最高の調味料という理屈で食を美味しく感じたかったこと、朝食を頼むことによりその分のお金を無駄にしたくないというよく言えば節約精神、悪く言えばケチ精神を活用し朝に確実に起床し1日をスタートする等があった。食堂に到着し顔認証で通過、そのあと朝食をもらう。各席にはアクリル板が設置されており各々が食事ができるようになっていた。席につきいただきますと心の中で言い一口。”うん。普通だ” と思った。1週間の献立を見たのだが大学入学当初とほとんど変わらない。味のひとつも変わったかと思ったが変わっていない。大学入学当初からまずいとか味は可もなく不可もなくと聞いていたが、それが4年後にも健在でこれはこれで懐かしさを感じる。食事に対して学生が味のクレームを出し続けているが食堂に関しては大学側ではなく別業者が管理しているためかそのクレームが聞き入られたことがないと思う。食事の質が一定しているのは評価すべきだろう。と色々考えながら久しぶりの学食を終える。
学食を終えた次は荷物回収だ。大学に2年ぐらい学期を過ごしそこから休学し休学明けには日本でZoomで授業を受けていたため大学には2年ぐらいはいなかったことになるが1 ~ 2年までは生活しておりその物品を寄宿舎に預けていたので取りに行かなければいけない。大学側には私のような人たちがそこそこいてか荷物が毎年少しずつ溜まりまた卒業生なども荷物を残すこともあり定期的に荷物の処分を大学側がしていたため私の荷物もその対象になっていないかと心配していたのだが友人曰く確保されているそうだ。来月には現在ある荷物の全てが処分されるらしい。なんとも私は運が良い。友人のところに行き自分の荷物を確認する。あきらかに少ない。他にはなかったかと聞くとないらしい。幸い寄宿舎に関してはかなり構造を把握しており荷物がありそうなところをしらみつぶしに探したら段ボールの大群を見つけた。おそらくここにあるだろうと思い友人を複数人呼びダンボール探索が始まった。探している中で卒業した友人のダンボールが多くあったのでおそらくあるだろうと淡い期待を抱きながら探していると見覚えのある段ボールを見つける。結果的に全て段ボールを見つけることが出来なかったが生活必需品と重要なものが入った段ボールは発見できたのでひとまずは及第点だ。自分の荷物が残っていると信じて旅行ケースにはほぼ何も持ってきていなかった。ひとまず一つのギャンブルには勝ったのとすでに卒業した友人の荷物があったのと来月には全て処分されると聞いていたので戦利品としていくつか生活に活用できるものを携えて寄宿舎に帰宅する。一通り大学生活をするための用品を取り繕ったり、部屋メンと挨拶をしてその日を終える。
授業は3つしかなかったのと要領良く学習し成績を獲得する方法を知っていた私は最後の学期何をしようかと考えていたところ、大学の友人から連絡が来たので久々に会う。この友人はT.Kというのだが語学院でもルームメイトだった。久しぶりに会い他愛のない会話を交わしながら最近何をしているのか聞いたところ絶賛就職活動中らしい。日本の大学生であれば就職活動は3年やそれよりも早くに始まると思うのだが、私は大学を卒業した後はアメリカの大学院に進学することを前提としてそこを目標に学習して来たので就職活動を4年2学期になってもしたことがなかった。途中で関心の対象が変わりデータサイエンスを学び始めデータサイエンティストになることを志したのだが、このデータサイエンティストというのは日本で需要がありながらもその専門性の高さから人材不足が囁かれている職種で4年2学期から就職活動をしても間に合うだろうと思っていた。こういうのを慢心というのだろう。就職活動は全くしていなかったが大学の卒業条件で履歴書を書いたり想定される質問に対しての受け答えの文章を作成したり、Opic対策で英語で100を超えるエッセイを書いていたこともあり十分すぎる準備は出来ていた。心理学科だからなのか不確定要素の多く抽象的な性質が多い人間について研究して来た賜物か自分の感情や考えを言語化するのかは得意になっていたことや自己分析や職業適正等の授業や心理士の資格を所持していたこともあってか自分自身を比較的に理解しておりまた表現することに対して難しさを感じなかった。準備は万端だったのであと必要なのは企業情報を分析し面接を受けるだけだった。友人に就職活動は早めにしたほうが良いと念押しされたのでその日から企業分析を始めた。かなり説明を端折るが結果的にその友人のおかげで日本のデータ分析コンサル会社から内定をいただくことができデータアナリストとしてキャリアをスタートする。
就職活動の詳細は下記の記事から参照をお願いします。
後輩との交流も行い就職活動も大成功し、部屋メンとボードゲームをしたり無事に授業を最後まで終えその学期を終えることになった。学期中に徴兵を促すような勧告もなければ、コロナワクチンを3次まで受けないと寄宿舎を追い出されると言われていたがそんなこともなく、ビクビクしながらも満足した学期を過ごした。大学生活には最高の終わりを締めくくることが出来たことはよかったが大事なのは日本に帰れるかだ。韓国から日本に帰るのに何をそんなに神経質になるんだと思われるかもしれないが、私は韓国国民として軍隊に行きたくないが故に韓国の法律的にグレーゾーンの立ち振る舞いをしている。韓国の国籍を持つ男性であれば法律的義務により軍隊に行かなければいけない。軍隊に入隊する時に陸海空軍があるのだが最短の軍役でも1年6ヶ月の年月が消える。さらに稀な場合だが訓練中に事故によって死ぬこともある(主な原因はライフルの跳弾)。稀と言っているが実際に毎年死傷者は出ている。死傷者が出たことは親族には公表されるが公には発表されない。このネタはいわゆる韓国のタブーの一つだ。時間を浪費し自分の命を落とすかもしれず、せっかく頂いた内定を取り消すようなことがあっては最悪だ。将来やりたいことがなければ軍隊に入隊することで将来を考える時間を持ったり、自分の身を守る術を学んだり、体力がついたりと利点はあるが私には将来したいことがあるので軍隊行きはなんとしても回避したかった。軍隊入隊は人生の方向性が変わるため絶対に日本に帰らなければいけなかった。自分の人生がかかっているので神経質にもなる。
当時軍役を回避して日本に帰るには下記が必要だった。
1, 帰りの飛行機チケットを日本国籍で購入(当時2万5000円)
2, 検査72時間以内の陰性証明書(当時1万円。これを通過しないとそもそも日本に帰れないしチケット代も帰らない。)
3, 行きの出国審査で法務局に引っかからない
とりあえず帰りの飛行機チケットは購入できたので陰性証明書を発行してくれるPCR検査を受けられる病院を探す。大学の近くで受けようと思っていたが父親が仕事で韓国に帰って来ていたのと寄宿舎滞在の購入分の期間が過ぎ近いうちに出なければいけなかったため、父親の住んでいるところの近くで病院を探し予約をした。当日検査を受け翌日に結果が出るのだがそれまでドキドキが止まらなかった。翌日結果は陰性で日本に帰るのに一歩前進した。父親のところで少しばかり滞在した後、韓国に行ったときのように早朝の便であったため深夜に空港に到着し、時間になるまでデータエンジニアリングを学習する。時間になり飛行機の案内板を確認する。渡韓した時のように欠航便は少ない。これはいけるかと思いながら搭乗受付をする。心の中で今まで順調に行っており完璧だと思っていたのだがここでその流れが途切れる。なんと予約した名前がないというのだ。以前時間を勘違いして飛行機に乗ることができなかったことがあるが今回は違う。理由を聞いてみるとキャンセルされていたそうだ。陰謀かこれは?と考えていたのだが、実はこれには覚えがある。飛行機のチケットを予約するときは基本的にクレジットカードで決済することが多いと思うが、購入時なぜかわからないが決済がうまくいかないことが連続した。ようやく一件予約でき安心と思ったらその前のサイトでチケットが取れたそうだった。つまり自分はチケットを2枚購入していたのだ。それを知り1枚をキャンセルしたはずだったのだがそもそもチケットを2枚購入しておらず1枚のみ購入していたのだ。つまり勘違いを起こして購入した1枚のチケットをキャンセルするということをしたのだと頭の中で理解しながらも、ここで引き下がるわけにいかず私はキャンセルしていないと言い張る。受付の人がおそらくチケット会社のほうに問題があるかもしれないと言いつつも搭乗は厳しいかと思っていたら、席がまだ余っていることがわかり秒で購入した。だがここで問題起こった。私は日本国籍で購入したのでてっきり日本名でチケットが帰ると思ったが受付の人が他にもパスポートはあるのかと聞いて来たのであると答えそれをよこせと言って来たので渡した。この回答がまずかった。なんと日本名ではなく韓国名での帰還になった。日本名チケットを購入した理由は日本人であればほぼ確実に日本人と認定され法務局に引っかかることがないからだ。だが韓国人の場合は違う。引っかかる可能性がある。韓国の法律的にグレーゾーンのところにいる私はもし法務局の人に指摘されたらなにもできない。最悪日本に帰れない。その場合は韓国語があまりできない日本語より英語の堪能な韓国国籍を持つ日本生まれの二重国籍者という設定で行くしかなかった。チケットを買えたことに対する喜びとなぜ韓国名でチケットを発行した受付の人を少しばかりいらつきを覚えながら法務官がいる受付に向かう。内国者専用のレーンに並び自分の順番待つ。自分の番が近づくに連れ不安になる。先頭を確認するとどうやら無人のパスポートを認証する機械で読み取り問題がなければ通過できるようだった。これはワンチャンいけるぞと思いいざスキャンをしてみる。結果は読み込めませんだそうだ。おっとこれはまずいと心で思うと同時に友人の法務官のところに案内される。このときに気分は処刑台に上がるのような感じだった(上がったことはないが)。法務官にパスポートを手渡す。すると法務官はパスポートを一切確認することなく機械にスキャンしてパスポートを返す。この動作でわずか5秒でokが出た。このときの法務官が天使に見えた。あまりにあっけなく通過できたことに対して喜びよりも今までなんでこんなに神経を張っていたのか馬鹿馬鹿しくなり引き笑いが溢れる。それと同時に法務局を通過して本当に韓国の大学生活が終わったんだなと実感した。これで韓国に来ることは当分ないだろうと思いながら、韓国での思い出を回想しながら搭乗ゲートに向かう。搭乗ゲート付近に到着し周辺の席に座り乗り込む時間まで待つ。時間になり飛行機に乗り込み自分の席へと座る。韓国の風景を見ながらいろんな経験をさせてくれた奨学金を与えてくれた大学と財団に感謝しながら、これからの将来のことを考えながら離陸する韓国の地を見ながら思い出に耽る。この時はフィリピンの時のように眠りには落ちなかった。ありがとうと心の中で思いながら最後まで見えなくなるまで韓国の地を見ていた。
まとめ
韓国での大学生活は今思うと長かった。よく時間の流れは早いと聞くが自分はそう思ったことはない。中高大で過ごした時間は自分にとって良い意味でも悪い意味でも長かったと思う。最終的に奨学金を最後までもらい授業料は一切払っていない。返済義務もない。だがそれをもらうだけの時間を投資し神経をすり減らした。大学時代は学業に多くの時間を投資し身体と精神を削った。自分には奨学金がなくなれば大学に通うことができないとそう自分に鞭打ち勉強をした。最終成績もいわゆる優等生ぐらいのGPAになった。昔は日本語しか話せなかったが今では3言語話せる。自分の時間を投資したいと思える分野に巡り合い、その会社から内定をいただくことができて働くこともできる。努力した結果が実ったと思う。奨学金を与えてくれた大学と財団には頭が上がらず心から感謝している。大学では多くのことを学んだ。人に対して優しくあること。自分のできることで頑張ること。効率的に学習する方法。人を愛してみること。多種多様な国の人たちとの価値観の交換による視野の拡大。これらの学んだ内容を今後社会や私にとって大切な人に生かそうと考えている。
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